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ゼファーとの出会い

〜【1】〜『助けない理由がなかった』

とある街の袋小路。
小柄な少年を数人の大人が取り囲んでいた。

「小僧、今日こそは逃がさんからな!」
「逃げ道はないぞ? あきらめてこっちに来るんだ」
取り囲む輪がじわじわと縮まり、あと少しで捕まるという距離になったその時。
少年は街を囲う石壁の上に身軽に飛び乗り、懐から何かを取り出した。

次の瞬間、甲高い耳障りな音が袋小路に響き渡り、衛兵たちはその場に倒れこんだ。



「じゃあな、オッサン。もう悪さするなよ!」
少年は騒音を撒き散らした笛をしまい、石壁の上を器用に走りながら衛兵たちに言葉を投げかける。
複雑に入り組んだ路地の抜け道を彼は知り尽くしている。
屋根の上から大人の通れないような抜け穴まで使い、なんとか安全そうな道に出る。
「これでしばらくは大丈夫ーっと」
向こうは当分は追ってこれないはずだ。
少年の緊張がゆるむ。足取りも自然と軽くなった。

「ん?」
歩く道の先に、少女が倒れていた。
何度か見かけたことがある人物。
「たぶん、あの店の……だよな」
直接の面識はないが、この少女と、少女が開いている店の噂は何度か聞いたことがある。
「なあ、おい……?」
声をかけてみるが、彼女は返事をするどころか目を覚ます気配もなかった。
「よりによって、なんてとこで倒れてんだよ。ったく……」
うかうかしていると官憲が追いついてくるかもしれない。しかしここで立ち去るのはさすがに寝覚めが悪い。
店の場所は、確かここからそれほど遠くなかったはず。
少し思案して。
彼は少女を引きずるようにして店まで運んでいった。



「本当わけわかんない店だよなー」
少女を適当な椅子に寝かせて店の中を見回す。
少年の目には、骨董屋は奇妙なものばかり置いてある退屈な店にしか見えなかった。
「もう俺、行ってもいいよなあ?」
ここの隣に住むおばさんに医者を呼んでもらっている。
普段の行いのおかげで相当不審の目で見られたが、少女の容態を見せたらすぐに行ってくれた。
「あのおばさん、よくこの人の面倒見てくれてるっぽいし」
心配する気持ちもあったが、今日もこの街で騒ぎを起こしたばかりの彼はここに長居はしたくなかった。
「もう大丈夫だって」
そう自分に言い聞かせて、少女をひとり残し、店を出た。


〜【2】〜『貴女へのちょっとした贈り物さ』


「来てみたのはいいけれど、これからどうすれば……」
賑やかな市場の真ん中で、イリスは途方に暮れていた。
彼女が探しているのは、先日倒れていたところを助けてくれたらしい子供の姿。その日イリスが目を覚ました時には、もう帰ってしまっていたためにお礼を言えなかったのだ。

「おばさんもよく知らなかったみたいだし……ここで待つしかないのかしら」
住んでいるところも名前もわからない。
そんな相手の、唯一の手がかりがこの市場。
ここにちょくちょく現れては食べ物に手を出すなどの騒ぎを起こし、すばしっこく逃げ回ると言う。
誰に聞いても素性がはっきりしない子供だったが、悪名だけは高かった。
「みんな、悪い話だけは沢山話してくれたんだけど」
起こした事件だけ知ってても今は何の役にも立たない。
「見た目の特徴はひとつだけしか聞けなかったわ」
この人ごみの中から探し出せるわけがないとイリスは肩を落とす。

そんな彼女の背中に突然誰かがぶつかってきた。

「ごめん、悪いけどこれ持ってて!」

振り向くより先に何かを手に押し付けられる。
「何? 待っ……」
わけもわからないままイリスはそれを受け取ってしう。
腕の中には赤い木の実が数個。
「リンゴ?」
顔を上げた時には、渡してきた相手はもう後姿しか見えなくなっていた。
人ごみの中でもはっきりわかる、オレンジの髪がどんどん遠ざかっていく。
「……あの髪!」
その鮮やかな髪こそが、イリスが探していた目印だった。
「待って!」
「待てこら!」
呼び止めたイリスの声は後ろから飛んできたもう一つの声にかき消された。
今度こそ振り向くと、そこには市場で一番大きな果物屋の主人の姿があった。
「逃げられたか……」
「あの、このリンゴ」
「それだけ抱えてうちから全速力だよ、あの悪ガキは!」
さすがに逃げ切れないと、盗んだものを手ごろな相手に押し付けて逃げていったのだろう。
少年が走り去った方向を見つめながらイリスはひとつ、ため息をついた。



その頃、例の少年はリンゴをカバンの奥から取り出していた。
「結局これだけか。……ま、いっか」
一個だけ別に隠しておいたそれを、シャツの裾でごしごしと拭く。

街と森を隔てる壁に背を預け、少年は真っ赤な果実をほお張った。
市場の騒ぎが遠く聞こえる。
果物をかじる音だけがやけに大きくて、リンゴの甘さが口の中いっぱいに広がってもどこか味気なかった。
いつの間にか、少年の顔からは表情が消えていた。


〜【3】〜『じゃあ、また明日』


秘密基地。
または、秘密の遊び場。
イリスの目の前にあるのは、まさにそんな光景だった。

薬草を取りに森に入ったイリスが見つけたのは、粗末なはしごがかけられた大木。
太く枝分かれしている部分には板で作った小屋のようなものまであり、ちょっとした雨風ならばしのげそうだ。
「ずいぶん本格的。誰が作ったのかしら」
枝の上に作られたあばら家のようなものを眺めながら、木のまわりを一周してみるイリス。
柔らかな木漏れ日が木々の間からこぼれてくる。
風が吹くたびに揺れる葉の音がさらさらと耳に心地いい。
「薬草は半分も取れなかったけど、いいところを見つけたわ」 しばらくの間、イリスは太い幹に背を預けていた。



ふと、木々のざわめきとは違う音がイリスの耳に入ってきた。
「……足音?」
やがて茂みをかきわけるようながさがさという音に変わる。
こちらに近づいてくるようだ。
「……この木の人?」
木の影から足音のするほうをのぞいてみる。

「あー、今日はしつこかった」

あの子……!
イリスはその姿を見て驚く。
歩いてきたのは、先日市場でぶつかってきた少年だった。
顔も覚えていなかったが、あの鮮やかな髪の色は間違いない。
「よっと」
少年はイリスに気づいた様子もなく木をするすると登っていく。
「あー、腹減った!」
ひときわ太い枝の上に寝転がり、ため息とともに大声で言葉を吐き出した。



「街中探してもみつからないわけね」
少年の木から静かに立ち去ったイリスは、自分が見当違いの探し方をしていたことに一人笑う。
「これで明日は、きちんとお礼ができそう」
森から街に戻ったその足で、彼女は食料品店へと向かった。


〜【4】〜『……あの日からさ』


木の上の小屋をイリスが見つけた、次の日の昼下がり。

水袋を腰に下げ、少年は森の奥から『家』に戻ってきた。
彼しか知らない場所にある湧き水。
そこから水を汲み、ついでにたっぷりと飲んで来るのが少年の日課だった。
「んー……? 誰か来てんのか?」
いつもと同じ風景の中に、ひとつだけいつもとは違うものが『家』の前にいた。



白い布がかかったかごを両手で持ち、イリスは木を見上げていた。
あの時の少年に会いに昨日見つけた木までやってきたのだが、今は留守のようだ。
「もう少し待ったほうがいいのかしら……」
声をかけても反応がない小屋の前を、さきほどから右に数歩、左に数歩行ったりきたりしている。
「でも会ったらなんて言えばいいのか」
このままお礼だけ置いて戻ろうか、と彼女が考えたその時。

「なあ、何か用か?」

急に声をかけられ、イリスはびく、と肩を震わせる。
振り向くと、探していた相手がすぐ後ろに立っていた。
「あ……その」
「捕まえにきたとかじゃなさそうだけど」
「あ、違うの、わたしは……」
突然の会話に慌てる彼女の口からはなかなか言葉が出てこない。
相手の『捕まえる』という一言を否定するだけで精一杯だ。
「あの、そう、お礼をと思って。この間の」
なんとか単語を積み重ねて会話らしいものを形作るイリス。
「お礼? この間?」
少年のほうは頭の後ろで手を組み、いまいちピンと来ない顔をしながら聞いている。
「ええと……何日か前にね」
「なんかあったっけ? ま、いいや。とりあえず上がって話そうぜ」
彼はイリスを追い越し、枝から下がるはしごでするすると木の上に登っていった。

「上がって……?」
彼が登っていったはしごは、ただ枝にぶらさがっているだけの、不安定なもの。
ロープと木の枝を組み合わせて作られたはしごのその先は、イリスの背丈よりも高いところにある。
彼女はその前で立ち尽くしてしまった。

「早く来いよー!」
上では少年が手を振っている。
「そんなところまで行くのは無理よ」
「なんで?」
「なんでって……」
吊り下げられたはしごはつかむだけで揺れ、頼りないことこの上ない。
「そうかわかった! 荷物だな!」
登ってこれない理由を勘違いしたらしい少年はそう言って飛び降りる。
そしてイリスの持っていたかごを頭にのせ、そのまま登っていった。
「ほら、これで来れるだろ?」
「……すごい」
軽々と上がっていく彼を見ていると、木の上まで上がることなど造作もないことのように思えてきた。

「大丈夫、よね」
ロープをつかみ、引っ張ってみるイリス。
そろそろと、片方ずつ足をかける。
「ぐらぐらする……」
どうしてあの子はあんなにも簡単に登れたんだろう。
そう思いながら少しずつ足を進めていくと、頭のすぐ上から声がした。
「あとちょっとだ!」
見上げれば、少年が上から手を差し伸べている。
「あと、ちょっと」
あの高かった枝が目の前にある。
少し安心したイリスは思わず下にも目を向け――

そのまま固まった。


〜【5】〜『他にやることがあるだろう!?』


イリスははしごを8割ほど登ったところから一歩も動けなくなっていた。

「どうかしたのかー?」
少年が声をかけてくる。
「どうしよう……怖い。動けない」
ぎゅっと、左右のロープをつかみ、イリスは声をかけてきた相手を見上げた。
「怖い?」
「ここから落ちたら、怪我じゃすまないわ」
「んー……確かに尻から落ちると痛いけど」
ようやく怖がっているということを理解してもらえたようだ。
だが。
「落ちなきゃ平気だって!」
だから大丈夫、と彼は手を伸ばしてくる。
……一人で降りられるかわからないし。上がりきったほうがいいのかしら。
藁をもつかむ思いでイリスがその手を取ろうとした時、ずるりと彼女の足が滑る。

「――!」
「待っーー!」

嫌な落下の感覚が背筋をつきぬけ、しかし次の瞬間、がくんという衝撃とともに止まった。
見上げれば、少年がイリスの手をつかんでいた。
「間に、合っ、た」
そのまま、彼女の手を力いっぱい引き上げる。
「んぎぎぎ……」
少年は顔を真っ赤にしながら、自分が立っている枝までその手を持って来ようと踏ん張る。
引き上げられているほうも必死で残る片手と足を伸ばす。
「ぐ……、お、も、い……っ!」
太い枝までイリスの片腕が上がる。
続いて肩と胸が。
数分後、無事にイリスは高い枝に腰を下ろしていた。

「あー、びっくりしたー」
「わたしも。もうダメかと思った」
一息ついたイリスは地面を見下ろし、改めて胸をなでおろす。
「何見てるんだ?」
少年が隣からのぞきこんできた。
「あんなところから来たんだなって」
「ふーん……あ、そんなところよりこっちの方が良いんじゃねえの?」

うながされ、周囲を見回してみると、陽の光を透かして緑の葉っぱがすぐ近くで揺れている。
下から見た時は空を覆っているだけだった枝の上では小鳥たちが飛び回り遊んでいた。
「きれい……」
「俺の特等席だからな!」
彼女の横で少年は妙に得意げだ。

「ここまで来てよかったわ。どうもありがとう」
「あんなの大したことないって。重かったけど」
笑う彼とは対極に、イリスは複雑な顔になる。
「お……重、かった?」
「平気平気。それからーっ……と。ほら」
微妙な表情の彼女に少年は気づく様子もなく、先ほど運んだかごを手渡してきた。
「あ、ありがとう。すっかり忘れていたわ」
ここに来た用事を思い出し、気を取り直す。

「これはね……」
そう言って白い布をめくる。
「……うわー……」
少年の顔も目も、中に入っているものに釘付けになった。
「すげーうまそう」
「タルト。リンゴのタルトよ」
かごの中には香ばしく焼きあがった菓子が入っていた。
薄く切られ、とろとろなるまで火が通った果実は半透明に折り重なっている。
それが土台からあふれんばかりに積み重ねられ、小さな山を作っていた

「たると……これ、食っていいのか?」
「もちろん」

イリスがうなずき、少年は目を輝かせて最初の一切れを口にした。


〜【6】〜『全力で気が向いたッ』


「ん! んんー……!」
少年は苦しそうに水袋に口をつけた。
もう片方の手にはタルトの切れ端。
喉に詰まらせたらしい。

「……っはー。一気に食いすぎた」
「大丈夫? 慌てるからよ」
彼の見せる様々な反応がおかしくてつい笑ってしまうイリス。
「これ全部あなたの……あ、名前」
名前もまだ聞いていなかったことに、今気づいた。
「俺、ゼファー」
「イリスよ」
「そっか。じゃあ、イリス姉ちゃんだな」
うんうんと、何かを納得したような顔でゼファーはうなずいた。

「俺、こんなうまいもん食ったの初めて」
また一口、菓子を口に運びながらゼファーは喜ぶ。イリスからすると大げさに見えるほどだ。
「よかったわ。こんなのでお礼になるかちょっと心配だったから」
「お礼?」
「いつだったか……10日ぐらい前わたしを助けてくれたの、覚えてない?」
「んーー?」
少年は心当たりがないらしく、考え込んだ。そしてその間も口を動かすのを忘れない。
「わたしが倒れてたのを助けて、人を呼んでくれた、って聞いたわ」
「あ、あー! 道にいきなり倒れてた!」
言われて、ようやくゼファーはその日の記憶を掘り起こした。

「そう……倒れてたのね。本当にありがとう」
その日の事を聞いて改めて、イリスは『助かった』ということを実感し、かみしめる。
「そんな大したことじゃないって。タルトはうまいけど」
「ゼファーが通りかからなかったら、今頃まだ寝こんでたかもしれないわ」
「ふーん……」
少年からしてみれば数日で忘れてしまうぐらいの出来事。 しかし、イリスにとっては――



イリスが帰る頃、二切れ半ほどのタルトがかごに残った。
「全部食えると思ったのに」
「無理よ。思ったよりもなくなって驚いたぐらいだわ」
「こんなにうまいもんが残るほうがおかしいんだ」
少年のよくわからない理屈に、イリスが笑う。
「これは置いていくわね。……また来てもいい?」
「また……?」
イリスの言葉にゼファーは意外そうな顔を見せる。
「それから、時々遊びに来てくれると嬉しいわ」
「ホントか!? ……まあ、気が向いたらな」

こんな会話を交わし、別れたすぐ次の日。
『気が向いた』ゼファーは空っぽのかごを片手に家から飛び出すことになる。



がさがさと、何かを探しながらゼファーは歩く。
「『ちょっと散歩してたら、この辺まで来たから』……とか」
茂みをかきわけ、木の実をひとつずつ摘む。
「『また倒れてないか見に来ただけだ』とか」

ゼファーはタルトの入っていたかごに木の実を集めていた。
『気が向いた』その理由を考えながら。

「そういやあ、これも持って行くんだよな……」
採りたてのみずみずしい木の実が入ったかごを見て、また頭をひねる。
「『俺のところにおいといても、邪魔になるだけだから持ってきた……』って付け足すか」
こうして、イリスと顔をあわせたときの一言が決まった。
「お、でかいの見っけ」
ひときわ赤く色づいた大きな実を見つける。
これが「タルト」の上に乗っているのを想像し、ゼファーはにんまりと顔をゆるめる。
いつしかかごの中は、木の実でいっぱいになっていた。



少年が骨董屋の戸を開けると、呼び鈴が軽やかな音を立てた。
「いらっしゃ……あら?」
イリスが少し驚いた顔で出迎える。

「ちょっと、散歩してて通りかかったから」
ゼファーはあらかじめ用意していた理由を使う。
「それからこれも邪魔になるだけだから持ってきた」
そう言ってかごを突き出した。
「あ、わざわざありがとう……でも、これは?」
かごからあふれそうな木の実を見て、イリスは首をかしげる。

「んー……これは、あれだ……かごが軽すぎて持ちにくかったんで、たまたま途中にあったのを入れてきただけで」

かごの中身はどう見てもそんな量ではない。
無理のありすぎる不思議な理由にイリスは笑い、それを受け取った。
「そう。わたしも今、たまたまお茶の時間だから何か作ろうかなって……食べていってくれる?」


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2008.06.12〜2008.09.20