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イリスの思い

毒状態でダンジョンから戻ってきたゼファーを特殊な薬品で解毒した、その日の夜。

「そう……特別な材料が必要だったの……」
『そうだな。材料が揃うまではポーションでなんとか持たせていたが』
「わたし、クレースの呪文ですぐに治ると思ってた。でも、そうじゃなかったのね」

ゼファーが思っていたよりも危なかったことをイリスは知った。
クレースが唱える回復の呪文が効かなかったことも。
普段からそれに助けられている彼女はかなり深刻に受け止めたようだ。
「しばらく安静にっていうのは、そういうことだったの」
改めて感じた事態の重さに、肩で大きく息をつく。

「どうして一人でなんて……」

ゼファーがあのテオと同じ騎士になったことをイリスは耳にしている。
それは、強い冒険者に成長しているということ。
だが迷宮で意識のない彼女は、ゼファーが一人前の冒険者として戦っている姿を知らない。
そんなイリスの目には、今回のゼファーの行動は本当に信じられないものとして映ったらしい。

「無茶しすぎよね……」

途切れ途切れに、ただの独り言のように、イリスは彼女一人だけしかいないように見える部屋でつぶやく。
その言葉を受け止める存在に、イリスの重苦しい胸の感覚が伝わってきた。
その感覚は彼女が口にする言葉よりも心のうちを語ってくる。
『他の人間にも同じように心配されて今頃はベッドに縛り付けられているだろうな……明日、見舞いにでも行ってやるといい』
彼は今日の話を続けているようで、明日の予定へと話をそらす。
「そうするわ。解毒作用のある食べ物って何かあったかしら?」
明日の支度にイリスの意識が向いたことに、クレースはひとまず安心する。

――俺が力試しに一人でダンジョンに潜って、ドジッた。ってことに、イリス姉ちゃんにはしといてくれると助かる――

ゼファーの言葉が何を思ってのことか、今の彼には理解できた。



明日の準備も終わり、イリスは鏡の前に腰掛けて髪をとかしている。
鏡に映る彼女の姿を見ながら、クレースはある言葉を思い返していた。

――クレースさんは、そんな体をダンジョンに連れてってるの?――

これは、仲間の一人にかけられた言葉。
以前のクレースならば気にもかけなかっただろう。
しかし今の彼にはその言葉が耳から離れない。

『イリス。迷宮は、疲れるか?』
「そうね……ちょっと、疲れるけど大丈夫。……急にどうしたの?」

彼がイリス≠ノ体調について聞いたのはこれが初めてのこと。
自分≠ェ疲れを感じなければ、体調が悪くなければ、持ち主もそうなのだろうとこれまで思っていた。
そして苦しくなったら呪文で回復させればいい、という考えでいた。

『おそらく、これからもっと厳しくなる。お前がきついようなら……』
誰か別のメンバーが持っていても自分は術を使えるのだから、この先イリスは一緒に行かないほうがいいのではないか。彼女の腕で光る魔導師はそう提案する。

「……連れて行って。お願いだから」

イリスの髪をとかす手が止まった。
「置いて、いかないで……」
『……何故そこまで?』
クレースが疑問の声をあげる。
腕輪が主導権を握ると迷宮から出るまで彼女の意識はなく、その間の記憶も残らない。
同行してもしなくても、イリスにとっては同じだというのに。

「わたしは、皆のようにはなれない。でも、一緒にいたいから」
『ずっと眠っているようなもので、何も覚えていないのにか?』
イリスの顔が伏せられた。
鏡から視界がはずれ、彼女の表情が見えなくなる。
「そうよ……身体だけでも同じところにいたい。でないと皆が遠くなってしまう気がして」
『皆が?』
「クレースも入れて皆よ。こうして腕にはめて一緒にいてもわたしと違うって時々思うもの。……そんな感じがしないのはゼファーだけだわ。もともと冒険者じゃなかったからだと思うけれど」

イリスが顔をあげる。
彼女の表情は思いつめたものになっていた。
「クレースが動きにくいなら、もっと体力がつくように、それから貧血だって起こさないようにする。だから……」
『……わかった。しばらくはこれまで通りでいい。が、本当にまずい時は休んでもらうからな』
その言葉にうなずくイリスの顔にはまだわずかに不安の色がある。
その時は私も一緒に残る、とクレースはつけたした。



……持ち主に応えることが妙に心地よい。
鏡に映るイリスを見ながら、腕輪は思う。
これまでの、持ち主に扱いをただゆだねることとは少し違う気がした。


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2009.01.31