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陰る陽光の色


赤は炎。勇気と怒り。
燃えるように熱い感情。

――高い魔力を秘めた紅玉の瞳を、陽気な橙色に変えた吸血鬼がいた。


黒は闇。恐怖と優越。
夜のように黒い感情。

――闇をまとう髪の色を、華やかな金色に変えた吸血鬼がいた。


彼は言う。ただの“暇つぶし”だと。
“女装をしてると獲物が引っかかりやすい”のだと。
冗談なのか本気なのか、聞くものを煙に巻くような女の口調で――


魔王城の一室で、僕は銀髪の少女に戦闘での立ち回り方を指南していた。
彼女の名はクリア。“元・勇者”であり、今は魔王ヴィゼールの配下であり捕虜だ。
対魔王のための禁呪を携えてこの城に攻めてきたが、あっさり返り討ちにされて今に至る。

「はい、今日はおしまいね〜」

僕の声に、クリアはこくりとうなずく。
彼女は禁呪と引き換えに、言葉と感情を失っている。
意思も希薄になっているのか、城の者に逆らう気配もなく。おかげで武装したまま自由に城内を歩くことを許可されている。
“人間側”は勇者から言葉と感情を奪い、“魔王側”は勇者に感情を取り戻させようとしているという、残酷で皮肉な構図。当のクリアが何を思っているのか、その表情からはうかがい知ることはできない。

「クリアちゃん、今日は何かお話する?」

クリアにできる意思表示は、肯定か、否定のどちらかだけ。
感情のゆらぎがほとんどない彼女にとっては、それだけで十分なのかもしれない。まれに取り戻した感情から出る一言が混ざることもあるが。

表情を変えることなく、こちらの話にじっと耳を傾けているクリアの瞳は小動物のそれのようだった。
……彼女を“飼っていたウサギに似ている”と言ったのはヴィゼールだっただろうか。
こうして話していると、ヴィゼールが抱いたその印象もわかる気がする。
他の相手には言えない、僕の奥深くにある言葉も恐れも、彼女になら話せるから。――それはとても、傲慢なことだけれど。


“勇者”が魔王城に来てから何日過ぎただろうか。
クリアの感情集めは順調に進み、今では彼女が城にいることが当たり前になっている。
訓練のついでに僕の部屋で話をすることも、もうすっかり日課だ。
彼女とするのは恋愛の話、城内の噂話。なんてことない会話。

……そう、いつもと同じ他愛のない会話で終わるはずだった。

「うーん……。おなかすいたわねー」
この、喉の渇きさえなければ。

「ヴィゼールでも襲ってこようかしら?」
いつもと同じ僕の口調に混じる、かすかな陰り。
その影が色濃くなっていくことを心のどこかで止めようとしても、抗えない衝動が次の言葉を続けさせた。

「前々から、あなたの味見、してみたいと思ってたのよ。食べていいかしら?」

飢えた吸血鬼に彼女が返してきたのは、無防備この上ない返事。
これも“他愛のない会話”だと思っているのだろうか?
部屋の、僕の空気が変わったことに気づいているのだろうか?

今。僕の瞳は琥珀色から紅玉の色に変わっているだろう。
瞳の色を変える魔法も、吸血鬼の本性をあらわにした今の僕には何の意味もなさない。
じっと僕を見つめる彼女にもこの血の色に染まった目は見えているはずだ。

「……」

僕を見上げる彼女の瞳にはなんの感情も映らない。
怯えも、恐怖も、嫌悪感も。
……まいったな。
女装で人間をだまして“食事”をしても後ろめたいなんてことなかったのに。

「クリアが悪い……。クリアが悪いんだからね」

本当はわかっていたんだ。
あんな聞かれ方をされた彼女が拒否しないことを。
わかっていて話をした。一人ずつ“食事”相手の名をあげては却下して。
最後にクリアに尋ねたときに『いいえ』ではなく『はい』と答えることを期待……いや、半ば確信していた。

「学習するといいよ、捕食者に……吸血鬼に、冗談でもそんなことは言わないほうがいい、ってね」
喉の渇きをごまかすように、軽口をたたいてみる。

「おっと、世界に残ってる吸血鬼は、僕だけだもんね。あまり覚えていても意味のない知識、かな……」
軽口をどんなに続けても一度疼いた本能が静まることはなかった。
紅く染まった瞳が、鮮やかな紅玉から、赤黒い影を落とす柘榴石に変わっていくのが自分でもわかる。

「ほら、顔見せて。うん、クリアってとってもキレイな顔してるよね」
僕はゆっくりとクリアの頬に手をよせた。暖かく柔らかなその感触は、その下に流れる血潮を僕に伝えてくる。

「どんな味がするか、楽しみだな……」
彼女の透けるような白い首筋に牙を突きたて、命をすすると僕の喉が歓喜の声をあげる。
少しだけ……ほんの少しだけのつもりで――


――僕が、我にかえったのは、腕にクリアの重みがかかり、指から銀色の髪がこぼれ落ちてからのことだった。

「……今頃、アイツの気持ちがわかるなんてね」
気を失った彼女を抱き、口の端をぬぐいながら、僕は自嘲する。
遠い昔。愛した女を喪ってから、男の血しか飲めなくなった吸血鬼がいた。
何も知らない……まだ命の重ささえ知らなかった頃に、出会った同族。

「あのときは馬鹿な奴だと思ったけれど。……今の僕はもっと滑稽だね」

女の姿、女の口調。
偽りをまとい、ずっと“僕”を覆い隠してきた。
「人間の女の子に近づきやすいのは本当。でも……」
遊びや暇つぶしのためと、本気か冗談かわからない理由をつけて。
“気のいい女友達”越しの距離感を無意識に保っていた。

「明日からまた“おねーさん”に戻れるのかな、僕は」

細いクリアの身体をふわりと抱きかかえる。

「“もう近づかないほうがいい”って言ったら、その通りにするのかな、君は」

そうして欲しい気持ちと、それでも会いに来て欲しい期待が半分ずつ。
相反する思いを、羽のように軽い彼女の身体と一緒に抱え、僕はクリアの部屋に向かった。
「……目が覚めたら、謝らせてね。クリアちゃん」
この一言だけを陽のあたらない部屋に残して。


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2014.04.25