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ツヅキカラ〜第5章〜

「…ああ、シセル。ありがとう」
机の上に置かれたコーヒーカップの音で。パソコンのキーボードを叩いていた男は自分の横に立つ女性に気がついた。
「時々は、休まないと体に悪いわよ。ヨミエル」
「いや…わかってるんだが。集中してしまうとどうしても、な」
仕方ないわね、とシセルは苦笑し。夜食と言って一皿のサンドイッチを置くと部屋から立ち去っていった。

そんな彼女の背を見送り、もう一度パソコンの画面に向きなおったとき――
彼の視界は赤く塗りつぶされ、すべての音が消えた。

「…こ。これ…は…!」

あらゆる物が形を失い、影にふちどられた空間。彼が“タマシイ”であった頃、嫌というほど見続けてきた《死者の世界》だ。
ただひとつ違うのは、その世界の色。
時間も魂も、心までも凍りついていた彼を象徴するような、海の底にも似た“青”ではなく。
燃える炎を思わせる“赤”――ヨミエルは、その《死者の世界》に見覚えがあった。

「シセル…なのか…?」

ヨミエルは“相棒”の名を呼ぶ。彼の声はかすれ、乾いていた。

『…ああ。“ひさしぶり”…というのはおかしいだろうか? ヨミエル…。“生きている”キミと会うのはこれが初めて、だな』
『シセル…どうして!』

“自分と同じ顔をした男”が平然と、再会の挨拶をしてくるが、ヨミエルはそれどころではない。

『…なぜ。いつから。また《死者のチカラ》を…? 運命は変わったハズだろう…。それに、そのスガタ…!』
“シセル”に向かって、ヨミエルはありったけの“何故”をぶつける。
『そんなにいっぺんに聞かれても困るな。まあ…このスガタにはあまり深いイミはないのだが』

矢継ぎ早の質問にも、シセルは先ほどと同じ涼しい顔で返す。“タマシイ”であることが当然、といった彼の態度は、戸惑いと驚きに満ちたヨミエルの顔とは対照的だ。

『…そうだな…。とりあえず。“はじめから”話すとしようか』

シセルは話し始める。
“あの夜”最後の《運命の更新》で。自身に《アシタール》が埋まったこと。
そして、今夜の事件。そのすべてを――



シセルが話をしている間、ヨミエルはずっと無言だった。
話が終わってからも、沈黙はシセルが声をかけるまで続いていた。

『…………。ヨミエル…?』
『“あの夜”最後の《更新》で。オレは…。もう、何もかもが終わった、そう思っていた』

でも、違ったんだ――。ぎり、と歯を食いしばるヨミエル。彼の手は爪が食い込むほどにつよく握り締められている。
こめられるその力は、悲劇が終わっていなかったことへの憤りか、“相棒”の運命を知らずにいた自分への悔恨か。

『…オレは、オマエのイノチを身代わりにしちまったのかもな…』
シセルに痛いほどの自責の念が伝わってくる。
ここは、魂の声が直接胸に響く《死者の世界》。

『そして、今夜。オレの代わりにダレかが“トリヒキ”をし、裏切られて…』
『ヨミエル。それは…ちがう』
ゆらり、とシセルの“タマシイ”が黒猫の形になった。
“事件を追う者”ではなく。ヨミエルの“相棒”として、彼に話しかける。

『私は…《死の4分前》を何度も見てきた。ホンの少しのきっかけで変わる運命もあれば、簡単に変わらない運命もあった』
静かに語るシセルが思い浮かべるのは、彼が関わった数々の命と運命。

『《死者のチカラ》は偶然を作ることはできても…人の意思だけは変えられない』
それは、たとえば。隕石が落ちてきてもにらみ合っていた二人のこと。

『キミだって知っているハズだ。カラダを《アヤツル》ことはできても、ココロまではあやつれない』
それは、たとえば。《アヤツルモノ》に乗っ取られても必死で抵抗した女刑事のこと。

『…だから、今夜。“トリヒキ”を選んだダレかの選択は…キミのせいじゃない』
『…シセル…』
気休めでもなく、慰めでもなく。まっすぐ彼に向き合ったシセルの言葉は、ヨミエルの苦しみを溶かしていく。
ここは……魂の声が直接胸に響く《死者の世界》。

『シセル…オマエの言うとおりだ。オレの運命が変わって…ダレかに影響しているって思うのは、傲慢なことかもしれないな』
金髪の男は、泣きそうな顔で苦笑する。
様々な感情が入り混じった複雑な表情。シセルが彼の姿をしていても、そんな顔をすることはないだろう。

『“変わらない”運命だってあるさ、ヨミエル。…思いつめるのはキミの悪いクセだ。…ムカシから、な』

黒猫が目を細め。少しの心配と、やわらかな気持ちを“相棒”に伝える。
体温を伝える命を失ってもなお。シセルの魂は暖かかった。

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2012.09.16