煌々と明かりがともされた警察署は昼間よりも騒々しく、慌ただしい雰囲気に包まれている。
刑事たちがせわしなく走り回る署内は、人気のないゴミ捨て場とは対照的だった。
忙しそうな刑事たちの中。ジョードだけ少し雰囲気が違っていた。
気難しい顔でメモの切れ端を見ながら、とんとんと指で机を叩いている。
「どうしたんですか、ジョード刑事…?」
「ああ…ちょっと。カバネラ警部からムズカシイシゴトを任されちまってね…。ところで、なんだい?」
帽子を目深にかぶった刑事に話しかけられ、ジョードは我に返る。
リンネからの電話だと、その刑事は受話器をジョードに渡してきた。
「ああ、わざわざすまないな。リンジュー刑事」
「じゃあ、オレはこれで。…がんばってください」
用が済んだリンジュー刑事は妙に気持ちのこもった一言を残して立ち去っていった。
常識人の彼もまた。お調子者の警部には苦労しているのだろう。
「さて…と。リンネ? 何か、わかったか?」
「…ジョードさん……。…それが、その…」
ジョードが電話に向かって話しかけると、リンネらしからぬ、歯切れの悪い返事が返ってくる。
「どうしたんだ、リンネ?」
「…詳しいハナシが…今。しにくいんです…“テントウ虫”のせいで」
「…!」
テントウ虫――それは特別捜査班で“盗聴器”をさす言葉。
電話を盗み聞きをしている者がいても。裏に隠された意味を知らない限り、この会話の内容に気づかれることはない。
刑事になったばかりのリンネがこの言葉を知ったのは、管理室でシセルがもらした一言からだ。
「…で、デンワに“テントウ虫”がくっついてて、それで…!」
「ああ、リンネ…“わかった”。…そういえば、キミは虫がキライだったなあ?」
なんとか“テントウ虫”の意味を伝えようと必死なリンネに、ベテランの刑事が合わせる。
何を言わんとしているのかわかっていると言葉にこめながら。
「そ…そうなんです! シセルが見つけて。それで…警察のデンワにも…いたらヤダなって!」
「…なるほど、な。…………そういうコトなら。シセルくんに、こっちに来てもらってもいいかい? 直接、ハナシをしたほうがよさそうだ」
『…たしかに。ただ…“一方通行”になってしまうが、な』
《コア》のないジョードは死者と話すことはできない。
だが、シセルが彼の話を聞くことはできるのだ。
「…それから。ダレかこっちに来てほしいんですけど。…見てもらいたいものがあるんです」
「…わかった。何人か向かわせよう」
緊張感あふれる電話が終わり、ジョードは電話を切る。
「リンジュー刑事、メメリ捜査官はいるかい? どうもデンワが盗聴されているらしい。彼女なら詳しいだろう?」
「あー、それが。…彼女は“シカケる”専門だと思いますよ…」
探して壊したり、無効にしたりといった対処は期待できそうにないと苦労人の刑事は言いたいらしい。
「そ、そうか…。まあ、他の刑事にも注意を呼びかけてもらえると助かるよ。無線も使わないほうがいいだろうな」
「…わかりました」
続けてリンネへの応援の指示も出し、ジョードは再び電話の前に座った。
「…いるかな、シセルくん?」
『ああ、ここにいる』
机の横にあるゴミ箱のふたを開閉して。シセルは返事をしてみせる。
「じゃあ、こちらの捜査のハナシをしよう…まず、施設からは機密情報が盗まれていた。…案の定な。その中には…おそらく。《アシタール》の情報も入っている」
(…!)
《アシタール》。すべての悲劇のはじまりとなった石。
《更新前》に、ある男の命を貫いたそれは。《現在》、小さな黒猫の命と時間を凍りつかせている。
「ただ…どんな風にキロクされてるのか、今はわからない。ハンニンがゼンブ持っていってしまったからな」
機密情報は、施設のコンピュータの中に入っていた。
犯人は中のデータだけコピーし。本体であるコンピュータをすべて破壊して立ち去っている。
当然、コンピュータのほうのデータは完全に破損されており、修復は不可能だった。
『…今。情報を“持っている”のはハンニンだけ、か…』
さらに悪いニュースは続く。
犯人が持ち去ったデータもまた。今日の日付が変わると消えてしまうらしい。
日付が変わるときにデータのある場所が“元のコンピュータ内ではない”場合。自動的に消滅するようになっていると言う。
(情報が…消滅する…?)
「セキュリティ上のモンダイで、そんなシカケになっているらしいが…ミゴトに裏目に出てしまったカタチだ。…というワケで。今、オレたちは必死で探しているのさ。…盗まれた情報が入ったハコをな」
彼が言うように署内は大わらわだった。独り言を喋っているジョードに誰も気づかないほど。
もしもここに刑務所のお堅い看守がいたら。恐るべきスピードで踊っていただろう。
「そのハコはこんな感じらしい。…こんな小さなモノに国家機密がゼンブ入ってしまうんだから…向こうのクニのテクノロジーはトンでもないな」
『…! そ、それは…!』
シセルはこの時。ジョードに“声”が伝えられないことを心の底からもどかしいと思った。
“箱”の見本としてジョードが出してきたのは、ビューティーのカバンから出てきた銀色の板にそっくりだったのだから。
「……ハコの外見は、一番重症だった職員が話してくれたよ」
ジョードの口調は、重苦しかった。ため息と一緒に吐き出されるような、色あせた声だ。
「一人だけ、不自然な証言をした職員がいたんだ。知らないハズのことを知っている、状況と合わない…ムジュンした発言をね。そこで…カバネラ警部が問い詰めてみて、わかった。……その、彼は。ヤツらの“トリヒキ”相手、だったんだ」
『…!』
「厳重に警備された施設にハンニンが入れたのも、情報を盗むことができたのも。みんな“トリヒキ”した彼のおかげだった…というワケだ。ケッキョク、最後に裏切られちまったようだが」
『そう、か…なんとも、やりきれないな…』
シセルもまた。沈痛なつぶやきをもらす。
“裏切り”で終わる“トリヒキ”の結末――《更新前》の悲劇が、後ろから追いかけてくるような気がした。
「そうカンタンに変わってくれないモノらしいな…《運命》ってヤツは」
『ああ…だが。変えられるモノだってあるはずだ。ワレワレがあきらめない限りは、な』
うつむく刑事にシセルは声をかける。生者の耳には、その声が届かないとわかっていても。
「…だからもう一度。やってやろうじゃないか、なあ、シセルくん?」
死者の声に応えたかのように。ジョードもまた顔を上げる。
沈んでいく潜水艦に閉じ込められてなお。わずかな可能性に“手”を伸ばし続けた二人の魂はまだ、光を失っていなかった。
2012.09.16