「やだ……やだよ、こんなの」
「こんなのイヤ」
自分でも何が嫌なのか、『こんなの』とは何かわからない。
今あふれてる涙と同じで、ただ口をついて出てくるだけの、なんの意味も含まない言葉。
テオが居心地悪そうに時々こちらをうかがっているのがわかった。
……だから一人にして、って言ったのに。
一人になりたいと言うリコルに対して、自分はここにいると一歩も譲らなかったのは彼本人だったのだが。
弟は当分の間、姉から目を離さない気でいるらしい。
今日あったことを思えば当然だろう。
昨日表したばかりの決意や誓いのすべてを裏切ってしまった。
竜の怨念に取り込まれ、仲間を傷つけてしまった。
「ごめん、とも言う資格ないよ、私」
別の部屋にいる仲間に何て言えばいいのか。
顔を上げると、視界の隅に紅い槍とそれに結ばれた蒼い印が入ってきた。
「姉さん、それは!」
ドラグニルを手に取る姉を見てテオが声を上げる。
もう呪縛は解けたとわかっていてもその槍には拒否感があったのだろう。
「約束、したのに……」
姉のつぶやきの意味も彼にはわからない。
その行動に戸惑いながら、思いつめた表情の彼女をただ見ている。
リコルが蒼のリボンに触れる。
その時彼女の足元で小さな音がした。
「ん……?」
「何か、槍……から落ちたような」
横から見ていたテオにはわかったらしい。
「落ちるようなものなんか……」
まだ少し涙声のリコルがしゃがみ、それを拾い上げた。
「その青いのにつけてたんじゃないのか? ……俺が持ってきたときはそんなのなかったような気がするけどさ」
リコルの手の中をのぞき込んだテオが自信なさげに口に出す。
ウサギの牙だ。
牙自体は冒険中も何度か見たが、これは人工的な加工がされている。アクセサリーに見えなくもない。
「ううん、リボンの他には何も。それにこれ、私のじゃないし」
「なんか見覚えあるんだけどな……」
「うん、見覚えだけは私もどこかで……」
リコルは弟の声にうなずき、牙を目の前にかざす。
見覚えどころか、ついさっきまで見ていた気がする。
どこで?
海辺。
夕日。
誰かと話して……その時に手渡されて。
辺りが暗くなって――誰かが遠くなっていく。
それから?
確かにしたはずの会話が思い出せない。
どんどん記憶がこぼれていってしまう。
そして形のない重苦しい感覚だけが残された。
もう届かない、戻らない、そう思った。
何かがたまらなく不安で怖くて……。
「ジンの、じゃないか?」
テオの声にはっと意識を戻された。
そうだ。夢で出会い、言葉を交わし、そしていなくなってしまったのはジンだ。
「……ジンがいなくなってしまう!」
テーブルにぶつかり、椅子の足につまづきながら部屋を飛び出すリコル。
もしあれが本当で、このまま遠くに行ってしまったら。
「そんなの嫌だから!」
泣いていた時と同じ言葉を、今度は強い意志を込めて口にし、リコルはつい先刻まで『ジン』がいた部屋の扉を開けた。
2008.05.29